菊屋稲荷社の歩み、略年表
| 変遷 | 元号 | 菊屋及び、菊屋稲荷社の出来事 |
| 創成・繁栄期 | 鎌倉時代~明治時代 | 鎌倉時代、問御所の「菊屋」山崎家は、戸隠山の修験者火伏しの神「三尺坊」より授かった護符と、京都伏見稲荷神社より奉戴された大明神の分身を屋敷神として祀り、奉斎信心を怠らなかったため、家は富み栄えた。 菊屋は広大な土地を持ち、敷地内の四方に社寺を置き、東隅に建立した菊屋稲荷社まで人の土地を踏まずに往来できたと伝わる。 源頼朝や武田信玄が善光寺に向う途中に参拝したという伝説あり。 旧幕の頃、菊屋は越後の椎谷藩に所属し、大庄屋を務める。 菊屋は造り酒屋として明治末頃まで繁盛する。 |
| 衰退期 | 大正時代初期 | 第五十一代山崎七郎右衛門氏が死去した後は、酒造蔵を山屋岡伊右衛門氏に譲渡する。 その後、稲荷信仰は衰退し、菊屋稲荷社は荒廃する。 |
| 復興・再建期 | 大正12年頃 | 関東大震災から緑町に避難していた竹内廣正氏が自宅近くの八幡川から拾い 上げた祠が菊屋稲荷社の祠であったことを知り、本殿跡に祀って参拝した。 |
| 大正14年 | 竹内廣正氏が緑町の重鎮に声をかけ「菊屋稲荷社日之出講」を設立し、皆が集まった。 九月十日を秋の大祭日として菊屋稲荷社の再建を開始。 | |
| 昭和3年 | 菊屋稲荷社再建費用の捻出に向けて長野県に「寄附金募集許可願」を提出。 信仰者の浄財により本殿・拝殿・社務所の再建。 | |
| 昭和7年 | 宮澤幸三郎氏より大絵馬の奉納。 鈴木鶴治氏より社務所用地を無償借受、社務所裏土地百坪購入。 | |
| 昭和10年 | 頭山満氏揮毫「稲荷大神」石の神額の奉納。 この頃より出征兵士の武運長久祈願で賑わう。 | |
| 維持・発展期 | 昭和47年 | 信仰者の浄財により拝殿の改築、社務所の増築。 拝殿改築の寄附芳名(百三名)を扁額にして拝殿に奉納。 鈴木宗太郎氏より社務所用地の寄附を受ける。 神社本庁より「宗教法人・菊屋稲荷社」として承認される。 |
| 昭和49年 | 御神木の「欅の大木」と「エノキの大木」が長野市保存樹木に指定される。 | |
| 昭和55年 | 屋根付大鳥居の建立、小鳥居の整備。 | |
| 賑わい・創出期 | 平成15年 | 長野市制百周年事業とし菊屋稲荷社の記念碑設置 |
| 平成22年 | 拝殿大提灯と大鳥居献燈の新調。老朽化した御神木「欅の大木」伐採、その後「木札のお守り」などに再生。 | |
| 平成23年 | 拝殿の登り階段に手摺り設置、両脇の狛狐台座の改良。 | |
| 平成26年 | 社務所西側の部屋の改装、社務所に欅テーブルの設置。 | |
| 平成29年 | 拝殿両脇の狛狐一対の新調、大太鼓の修理。 長野市第三地区住民自治協議会「お祭りスタンプラリー」に参加。 | |
| 令和元年 | 拝殿の大幕・幟旗の新調 | |
| 令和2年 | 社務所東側の部屋の改装 | |
| 令和3年 | 大鳥居に「欅の偏額」の設置 | |
| 令和6年 | 熊木一夫氏より拝殿東側土地の寄附を受ける。 拝殿南側の嵩上げと広場拡張、拝殿内部の倉庫新設、内壁の塗装。 鳥居の塗装、照明の新設・LED化。 | |
| 再建百年祭行事 | 令和7年 | 拝殿の大幕・幟旗の新調、西南側フェンスの新調、薪収納庫の設置。 碓田順彦画伯による菊屋稲荷社縁起の大絵馬を制作して拝殿に奉納。 再建百周年記念の記念誌「菊屋稲荷社再建百年の歩み」発刊。 再建百周年記念式典、秋の大祭で「百周年記念花火」奉納。 |
